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芸術とはいかにあるべきか。もちろん自由であることは一番大事だろう。
でも最近はもう少し意味を持たせたいと思うようになった。
そのために軸となる思想哲学を求めるようになった絵の世界と現実の世界が相互に関係し合えるような 自分の絵で社会に何かしら参加できるようになるのが今の目標だ。
【人間は生まれながらにして自由である。
しかし、いたるところで鎖につながれている。】
ジャン=ジャック・ルソー
本作はパパラギという本に影響されて描いた作品です。
物を多く持ち複雑な社会を有するが悩みの多い人々と単純な生活をし、物を持たない一方でそれを苦痛と感じない人々との対比を描いたものです。
この作品は疑問を持って描かれたものです。
私たちは普段から物に囲まれ、貨幣なしでは生きてけず常に時間に追われていますがインフラが整備されていない家に住む人々を見ると自分勝手に哀れみを抱き、彼らの幸福に気づ
きもせず、彼らが不自由で貧しくあるように錯覚しがちです。
多くの人が仕事をして物質的に豊かになり電気の通ったコンクリートの家に住むよう助言するでしょう。
しかし本当にそれが唯一の幸福なのでしょうか?
我々は時間に追い立てられ立ち止まり考えることも許されないような生活しか知らないというのに、いったいどうしてこ
の様な生活が正しいと確信が持てるのでしょうか?
本当に自由な人々とは実は、持っている財産で自由さが決定される市民社会で生きる人々ではなく、もはやこの地上にい
るかどうかわからない未開の非文明人なのかもしれません。
私たち現代人の眼は最早、先入観無く物事を見れなくなってしまう程、曇ってしまったのかも知れません。
遠い異国の地や想像の世界に思いを馳せながら描いたと思われるルドンの“日本風の花瓶”
現代ではインターネットやメディアが発達し、疑問に思うことを瞬時に調べることができるため、未だ見ぬ文化や世界に自分なりの思いを馳せる時間、機会は少なくなっているように感じます。
昔の絵画を見る時よく感じることなのですが、絵画の中に実物や現実との微妙な誤差を見つける。
当時は資料や情報が少ないので、足りない部分を作者の脳内にあるもので補っているからだと考察できるのだが、その誤差や妄想で繋ぎ合わせた部分には、とてつもない魅力がある。
そこには独自の世界が築かれている。
時間を掛け、想いを馳せることを暫し忘れ、疑問が湧くと すぐさま端末でもって調べてしまう現代っ子の私に代わり着物を着た壺さんに思いを馳せていただきました。
この旅で私は異なる国へ旅しただけでは無く、異なる時代へ旅したようだった。
まるでタイムマシンに乗ったようだ。
あらゆる人間は歴史の中で局所的にのみ存在しうる。
過去については書籍や考古学的資料で見ることはできても実際に自分が体験することはできない。
私は なるべく未来と過去をはっきり見ようとするのだが、マズイ頭の構造上客観的な法則のようなものばかりに心を奪われがちで、そして大抵その自分勝手な一種の決定論の中でぐるぐると堂々巡りばかりしている。
ネパールには我々が生きる時代とは異なる、しかし昔、日本にもあった生活が存在する。
川で体を洗い、服を洗濯する人々。重い麻ぶくろを背負い田んぼを行き来する農民。我が物顔で街をうろつく野犬や牛ら。歴史の彼方に葬り去られたと思っていた情景がいきなり目の前に実存として現れる。その衝撃は筆舌に尽くしがたい 。
そして次にこうした疑問が浮かぶ、この情景は遥かな古代からそうであったように不滅の物であるかと。たしかにそこには人間のあるべき姿、素朴なあり方が存在するような気がする。しかし5年~10年 もしくは30年かかるかもしれないが、あの情景は必ず消えるであろう。
麻ぶくろはトラクターに取って代わられるだろうし、野犬はどこかへ姿を消す。
そして、ネパールの人民が素朴であればあるほどこの近代化の波は早く広まる。
彼らは自らの生活になんら特別性を見出してないし、それは歴史の少々先にいる私たちが勝手に彼らの中に見出しているものだからだ。
私にはネパールの姿はどこか“ちぐはぐ”に見える。のどかな情景の中にもプラスチックのゴミがあるのはその典型だろう。おそらく、かつてゴミを川に流すことはなんら問題ではなかったのだろう。有機物として分解されただけであったのだろう。プラスチックがこの国に流れ込んできても、人々は以前の感覚のままゴミを川に投げ捨てているのではなかろうか。
それは何故か有益だったり無害だった制度や思想が人々を疎外していく過程を見るようだった 。カースト制や左手を不浄と考える風習、これらも元は合理性のあったものだ。だがいつしか合理性は消え風習だけが残り人々を苦しめるようになってしまった。
ネパールの人びとが自分の生活を意識できるほど余裕ができた時、自身の文化の何を残し何を消すべきか選択できるほど豊かになる頃には、おそらくあの情景は消えている、私はそんな気がして仕方がない。 ネパールは今一つの時代の終わりにいるのでは無いだろうか。
これから人のやること、行動のレパートリーとその可能性、つまりその少し先の世界が見えてしまったようで、妙な寂寥としたものが胸をよぎる。人間社会の複雑化が進んでいるにも関わらず。
そして同時に一つの時代の始まりにもいる。豊かになるということは良い事だ。いつの時代であれ胃の腑は満たされなければならない。しかし皆が英語を話し、スーツを着て洋楽を聴くのはどこか寂しい気もする
ネワール族の村に行った時、ネワール語の挨拶を教えてもらった。もう若い人々は反応しない。だが年老いた農夫はとても嬉しそうに返事をする。
言語とは魂だ。農夫にとっては自分の孫にも通じないであろう言葉を初めてあった外国人から聞けたということは思いもいない嬉しい事だったのではないだろうか。人生であと何度聞くかもわからない。だがそれでも自分の故郷のような言葉なのだ。それが消えていくということはとても悲しいことに思えた。
私は日本の文化について殆ど知識を持たない。
タウトが絶賛する桂離宮も見たことがない。着物や浴衣でさえ母親に着付けてもらわないと着られない。茶の湯を嗜んだこともない。
タウトが日本を、その中の伝統の美を発見したこと。そのことと、我々が日本の伝統を見失いながら、だが、現に日本人であるということとの間には、大きな隔たりがある。
タウトは日本を外から見て発見する必要があったのだろう。
だが我々は日本を発見するまでもなく、既に日本人であることは事実だ。
祖国の伝統を知らず、そのことについて1ミリも問題意識を持ち得ない自分がネパールの滅びゆく文化を憂いていることが滑稽である。
日本にいると自分の置かれている時代について考えることはほとんど無い。
私たちは四季のように変わる流行を疑問を持たず受け入れている。何が消え何が生まれたか、意識が朦朧としているようだ。
我々の世代は大半がスマートフォンの存在しない世界は想像できないだろうし、ましてや電気、下水道の存在しない世界を想像できる人はこの国でどれだけ残っているだろうか。もはやいないのでは無いかとさえ思う。
一つ世代が変わるだけで全く別の世界の人間のように感じられる
私は電子機器を使うことを覚える必要があった最後の世代だ。 私はゲームに触れるのもテレビやスマホを使用するようになったのも、同世代と比べてもかなり遅い。私より後の世代の子ども達は生まれながらに電子の世界にいる。後数世代かわるだけで自分とは別の生物ができていそうだ。
どこまで共感できるだろうか。どこまでコミュニケーションを取れるだろうかと考える。
この旅でこうした時代の端と端で隅に追いやられて消えていくであろう物の最期の姿を見られたのかもしれない。
たとえ人々が忘れようとも、これらのものを自分の記憶の中には留めておきたい。
過去というものは即ち“無くなったもの”と“モノの次元”では言えるであろう。
かつての自分は既にここには居ないのだ。
しかし過去の自分は、自分の頭や記憶の中には存在しうる。
写真や思い出、頭の中 に残っているもの。
そのようなものに付着した概念いや、観念だろうか、は、絶えず生きていると考えられる。
当たり前のことなのだが、文明や技術が発達していくに従い、それと共に必ず失われゆくものがある。
日本人が普段、着物を着ることがなくなり、畳の生活を捨て、短い足にズボンを履き
ちょこまかと歩き、気取ってダンスを踊る、、、
私のほんの2、3世代前のことを西洋人が見たら滑稽だったのかも知れない。
だが、それこそが実質的な真実の生活なのだ。そうして今があるのだから。
見たところのスマートさだけでは真に美なる物には近づけない。
実質的なものが欠けているからだ。美しさのための美しさには素直さが無く、空虚なものを感じる。そうしてそれは結局、あっても無くてもいい代物となる。
実は、首里城だろうがノートルダム大聖堂だろうが、焼けてしまっても人々の生活にとって一向に困らない。
必要ならば取り壊し、駐車場を作ることの方が利便性が上がるかも知れない。
私の世代は既に、武蔵野の静かかつ雄大な落日はなくなり、ビルやファミレスやドンキの建物の上に夕日が落ち、晴れた日でも私の家の近所の環状8号線の上には雲がかかり、月夜の景観は目立つことだけを主眼に考えられた趣味の悪いネオンギラギラの看板にとって代わられている。
それでも、その光景が私にとっては原風景なのだ。現代社会において、生活をしていくために必要なのだ。
真に必要ならば、必ずそこにも美が生まれるはずなのだ。
そしてこの旅で感じた感覚を自分の拙い絵でできる限り表現すること。物事の本質にグサリと突き刺さるような作品を描くことが私のやるべきことだ。